式秀部屋入門への経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 08:05 UTC 版)
茅ヶ崎市立梅田小学校時代にテレビで幕下の取組を見て相撲に興味を持った。茅ヶ崎市立梅田中学校では1年時より陸上競技部に所属して、1500mの長距離走を専門としていた。同中学卒業後は高校に進学せず、陸上競技の活動を継続すべく、独自の筋力トレーニングを研究した。その生活の最中、四股及び摺り足が陸上競技に必要な筋肉の鍛錬に最適である旨を知り、実際に試みて手応えを感じたことで入門を決意。北桜と一緒に写真を撮ってもらった際、その人柄に好感を持ったという理由から、北桜が現役引退後に継承し師匠を務める式秀部屋に単身で訪問し、入門志願を直訴した。この時は両親の承諾が得られていなかったことから、式秀には入門を認められず、自宅へ戻るよう命じられた。しかし、その後は両親の承諾を得たことで正式に入門が認められて、2015年9月場所で初土俵を踏んだ。
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