度重なる自宅軟禁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:07 UTC 版)
「アウンサンスーチー」の記事における「度重なる自宅軟禁」の解説
2000年8月24日、ダラーのNLD青年部への訪問を再び阻止される。抗議の篭城を行うが、9月2日に首都ヤンゴンに強制送還された。同月22日にマンダレー行きを試みたが再度拘束され、翌22日から再度自宅軟禁された。同10月から、ラザリ国連事務総長特使らの仲介のもと、アウンサンスーチーと軍政との間で国民和解対話に向けた前段交渉が始まり、2002年5月6日に自宅軟禁は解除される。その後、NLDの党組織再建のために各地を遊説し、訪問先で熱狂的な歓迎を受ける。2002年5月14日、アウンサンスーチーと久米宏が5分間の電話対談を行い、録音した音声がテレビ朝日系列の「ニュースステーション」で放送された。2003年5月30日、ビルマ北部を遊説中に軍政による計画的な襲撃に遭い、活動家や支援者に多数の死傷者と逮捕者が出た。襲撃の責任者は、のちに首相となるソー・ウィン中将とされる。その後は軍施設に連行され、3度目の軟禁状態に置かれる。外部からの訪問はほぼ完全にシャットアウトされた。9月に手術入院したあとは自宅に移され、自宅軟禁状態となる。 2007年9月23日、仏教僧侶らの反政府デモが広がるのにともない、軟禁先を自宅からインセイン刑務所に移されたとの情報がある。9月30日、ミャンマーを訪れたイブラヒム・ガンバリ国連事務総長特別顧問と1時間にわたり会談した。
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