広常の館跡とは? わかりやすく解説

広常の館跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 23:17 UTC 版)

上総広常」の記事における「広常の館跡」の解説

上総広常館跡正確な位置今もって不明であるが、1990年代千葉県夷隅郡大原町(現いすみ市)や御宿町一帯中世城館址の調査が行われ、検討進められた。 千葉県東金市松之郷の字「新山」と字「城坂」に跨る舌状台地に「新山城」址があり、広常館があったと伝わっている。 「房総志料」は、布施村(現いすみ市下布施上布施御宿町上布施)に館があったとの説を唱えている。村内に山を背にした「殿台」と呼ばれる平坦な土地があり、ここが広常の館跡であるという。また同書は、かつて村内の川をせき止めるものがあり、村民がこれを見たところ巨大なカニが近づいてきたので、恐怖して逃げたとの伝承を広常の霊であると説明している。 「日本伝説叢書 上総の巻」でも、『吾妻鏡』内容考えるに、安房の国東條旅館から広常の館に送られ使者2日ほどでたどり着ける場所として、布施村以外にないとしている。ただし、村民中には伝承上総景清混同している者もいるほか、村内実際にはないはずの頼朝経過地を示す伝承地があるなど、混乱見られるという。 「千葉大系図」では、一宮柳沢城に広常の館があったとしている。一宮町では、これを町内高藤山城のことだとしており、城内一宮藩主加納久徴が広常の功績たたえて作った石碑がある。一方、「柳沢」を一宮に近い「大柳」の誤記ととらえ、睦沢町大柳館のことだと考え向きもある。 鎌倉における広常の屋敷跡は、朝比奈切り通し沿いにあり、近隣には大刀洗の上総介塔などの関連史跡がある。

※この「広常の館跡」の解説は、「上総広常」の解説の一部です。
「広常の館跡」を含む「上総広常」の記事については、「上総広常」の概要を参照ください。

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