幾万の絮落ちて野の枯れつくす
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評 言 |
松村禎三は二十世紀を代表する現代音楽の作曲家である。オペラ「沈黙」や「はなれ瞽女おりん」「越前竹人形」などの舞台音楽、交響曲や室内楽、歌曲、映画音楽など数多くの楽曲を持つ氏が、ある時期俳句に手を染めていたことについては、あまり知られていないだろう。 氏は一九二九年京都生まれ。幼い頃から音楽に親しみ、旧制第三高等学校理科卒業後は作曲を志して上京、池内友次郎に師事するも、芸大受験の最終の健康診断で結核であることが発覚。清瀬の療養所へ入ることを余儀なくされる。失意の底にある氏に、池内友次郎は療養所で俳句を作ることを勧めた。清瀬の療養所は、石田波郷、岸田幼魚などが療養していたことでも知られる。 松村禎三は、そこで無二の親友となる宗田安正と出会い、「天狼」「氷海」に投句。そして、わずか三年で第一回「氷海賞」の栄誉を手にするのである。氏が不死男と初めて会ったのはその時。不死男が「氷海賞」を直接手渡すために療養所へお見舞いに行ったのだ。 生涯ただ一冊となる氏の句集『松村禎三句集』(深夜叢書社)は、不死男・友次郎両氏の序文で飾られている。氏は長い療養生活の後半にオーケストラの曲を一つ書き上げ、外出許可をもらって届けたその曲が、NHK毎日音楽コンクールの一位となったのだ。 掲出句は、のちに舞台音楽で交流を得る水上勉が讃辞を贈った一句。絮が落ちる微かな音を、作者は確と聴きとめる。幾万の音は綾なして、室内楽を奏でているようだ。 松村禎三『松村禎三句集』(昭和52年10月10日深夜叢書社刊行)より |
評 者 |
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備 考 |
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