年代の推定・旅の時期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/19 02:24 UTC 版)
「甲州道中図屏風」の記事における「年代の推定・旅の時期」の解説
甲州道中図屏風に描かれた身延山久遠寺は、文政7年(1824年)の大火で本堂・祖師堂・位牌堂が焼失し、嘉永4年(1851年)に三堂の再建工事が終了した。再建前の三堂はいずれも唐破風向拝であったが、再建後は唐破風・流れ破風が混在した様式となっている。屏風絵における三堂は揃っているが再建後の唐破風・流れ破風が混在した様子で描かれており、このことから屏風絵の作成時期は嘉永4年(1851年)から明治維新を迎える慶応3年(1867年)の期間に推定されている。なお、本資料が屏風絵に表具された時期は、後述の裏貼資料の発見から明治30 - 40年代に推定されている。 また、25「石和宿辺」で8月10日から16日まで行われている石和八幡宮(笛吹市石和町市部)の年内大祭の様子が描かれており、同図の左側には、8月19日に祭礼が行われる甲府市和戸付近の道祖神が描かれている。これらの事実から、旅の時期は8月中旬で甲府に至ったのは8月下旬、身延から駿河を経て江戸へ帰った全旅程は9月初旬から中旬であると考えられている。
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