平成金融危機におけるペイオフ凍結下の資金援助
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「預金保険機構」の記事における「平成金融危機におけるペイオフ凍結下の資金援助」の解説
バブル経済下での銀行経営者らの放漫経営(背任など)による自己資本比率の低下(不良債権の増加)と護送船団方式の解体により、同族経営色の強い第二地方銀行・信用組合や経営基盤の弱い信用金庫が次々と経営破綻した(イ・アイ・イ・インターナショナル絡みの東京協和信用組合と安全信用組合、コスモ信用組合、兵庫銀行、太平洋銀行、福徳銀行、北海道拓殖銀行、商銀信用組合、新潟中央銀行、東京相和銀行、中部銀行など)。これらの破綻金融機関は、預金保険機構が受け皿金融機関に対して資金援助を行い資本増強させた上で、預金全額と正常債権を譲渡させた。当初はペイオフ限度内の預金保険による負担に加え受け皿の負担や当局主導の奉加帳方式の出資で全額保護されたが、1996年5月以降は預金保険法の改正で時限的に導入された特別資金援助として全額保護措置(いわゆるペイオフ凍結)が行われた。受け皿金融機関が決まらなかった東京協和信用組合・安全信用組合・コスモ信用組合はブリッジバンクの東京共同銀行、阪和銀行は払い戻しのみを業務とする紀伊預金管理銀行、木津信用組合・三福信用組合は整理回収銀行が承継した。 受け皿銀行として新たに設立されたみどり銀行となみはや銀行については、破綻した第二地銀からの営業譲受後早々と経営破綻し、都市銀行系の地方銀行に吸収され実質上解体されることになった(破綻理由については当該項目を参照のこと)。 都市銀行初の破綻となった北海道拓殖銀行においても資金援助方式での救済であったが、1998年以降、規模の大きな銀行に対しては後項の国有化とみなされる手段が執られるようになった。 資金援助を受けて受け皿銀行として新たに設立されたわかしお銀行が元親会社の三井住友銀行(旧住友銀行)と逆さ合併を実施して三井住友銀行(2代目)へ商号変更したり、同じく新設の東京スター銀行が別の投資ファンドに買収されるなど、法人格を維持したまま資本構成が変化する事例も見られる。
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