平成維震軍解散から新日本プロレス離脱へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 20:14 UTC 版)
「越中詩郎」の記事における「平成維震軍解散から新日本プロレス離脱へ」の解説
1999年2月22日、越中は平成維震軍を解散し、新日本本隊に復帰。その後佐々木健介と組みIWGPタッグ王座に返り咲いた。2000年には、分裂後間もない全日本プロレスに参戦し三冠王者決定トーナメントにも出場している。 2003年1月、新日本プロレスを契約満了により退団。選手一本でやっていきたかった越中にとって、マッチメイクなど運営の仕事で気が休まらない日々を送るという新日時代終盤の状況は不本意であったが、他に誰も運営の仕事をやる人がいない中で何かあれば絶えず、会社に呼び出されていた。その後、WJプロレスに入団。当初は、盟主でもある長州力の片腕的存在だったが越中も金銭面で揉め、大森隆男らと共にレイバーユニオンを結成する。だが、同年10月31日付でフリーランスとなった。越中はWJプロレスが1年で崩壊したことに関しては、2019年の取材で「誰のせいでもない」「自分が判断してきたからプロレス人生に悔いはない」と無罰的な態度を示した。
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