平塚時代
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1925年(大正14年)4月、発表していた『銀の匙』の改稿に着手する。同年7月、『沼のほとり』を岩波書店から刊行。翌1926年(大正15年)4月、改稿した『銀の匙』を岩波書店から刊行する。1928年(昭和3年)、猪谷妙子(旧友・江木定男の長女、猪谷善一の妻)のために「菩提樹の蔭」を執筆し、翌1929年(昭和4年)10月には『思想』に発表した。 1931年(昭和6年)1月、この頃から和辻哲郎の長女・和辻京子のために童話『鳥の物語』の構想が生まれる。同年4月、『菩提樹の蔭』を、翌1932年(昭和7年)6月、『しづかな流』をともに岩波書店より刊行した。同年9月、平塚の家を売却し、赤坂の家に家族と同居するようになる。この頃から1936年(昭和11年)9月までの日記がのちに日記体随筆『街路樹』となる。
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