師管と師団の関係
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師団制の師管は、同じ番号の師団のための徴兵と密接に結びついており、第3師団の兵士は第3師管に戸籍を持つ男子から徴集された。また、第3師管から徴兵された兵士は第3師団に入るのが原則であったが、これにはいくつか例外がある。まず、独自の師管を持たない近衛師団には、全国の師管から兵士が送られた。また、朝鮮、台湾の植民地に常駐する部隊にも内地の師管が兵卒が送られた。時には、人口が少ない師管にある師団にも融通された。一例として1921年(大正10年)に第3師管で徴集する兵卒の配分計画を見ると、第3師団に5998人、朝鮮の第19師団に1103人、愛知県豊橋の第15師団に759人、近衛師団に179人が割り当てられていた。 師管はまた国内反乱鎮圧と、外国の侵攻に対して出動する師団の担任地域でもある。名古屋を含む東海地方は、それ自体としての軍事的重要性は低かったが、外国軍が東京攻撃のために上陸する可能性がある地として駿河湾も考えられてはいた。
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師管と師団の関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/21 15:23 UTC 版)
師団制の師管は、同じ番号の師団のための徴兵と密接に結びついており、第4師団の兵士は第4師管に戸籍を持つ男子から徴集された。また、第4師管から徴兵された兵士は第4師団に入るのが原則であった。だがこれにはいくつか例外があり、まず、独自の師管を持たない近衛師団には、全国の師管から兵士が送られた。また、朝鮮、台湾の植民地に常駐する部隊にも内地の師管が兵卒が送られた。時には、人口が少ない師管にある師団にも融通された。 師管はまた国内反乱鎮圧と、外国の侵攻に対して出動する師団の担任地域でもある。外国軍の攻撃から大阪湾を守るのは、明治時代の防衛課題として重要であり、海峡には要塞が築かれ、師管を管轄する師団の指揮下に置かれた。
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