師管から旅管へ、軍管から師管へ
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「第5師管」の記事における「師管から旅管へ、軍管から師管へ」の解説
1888年に、鎮台が廃止されて師団制が施行されることになり、明治21年勅令第32号(5月12日制定、14日公布)で、陸軍管区は軍管 - 師管の2階層から師管 - 旅管 -大隊区の3階層に変わった。地域区分では、従来の軍管が同じ番号の師管に引き継がれ、従来の師管は同じ番号の旅管に引き継がれた。そこで、従来の第5師管は新しい第5旅管に引き継がれ、従来の第5軍管が新しい第5師管に引き継がれることになった。 新しい第5旅管は、第3師管のもとで東海地方を範囲としたが、区域に変更があった。名古屋を含む愛知県の大部分を占めたのは同じだが、以前から例外だった東春日井郡・西春日井郡・丹羽郡に加えて葉栗郡と中島郡も第6旅管に属した。長野県は全部が第1旅管に移り、かわりに静岡県の全部を範囲にした。 古い第5軍管は広島鎮台の管区で、おおよそ現在の中国・四国地方を管区とした。中国地方の第5軍管は備中国と出雲国以西で、備前国・美作国・伯耆国より東は隣の第4師管に属した。現在の都道府県にあてはめると、四国の全域と、山口県・広島県・島根県の各全域、それに岡山県の東部が第5軍管であった。これが変更なく新しい第5師管に引き継がれた。
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師管から旅管へ、軍管から師管へ
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「第6師管」の記事における「師管から旅管へ、軍管から師管へ」の解説
1888年に、鎮台が廃止されて師団制が施行されることになり、明治21年勅令第32号(5月12日制定、14日公布)に陸軍管区表が制定された。陸軍管区は軍管 - 師管の2階層から師管 - 旅管 -大隊区の3階層に変わった。地域区分では、従来の軍管が同じ番号の師管に引き継がれ、従来の師管は同じ番号の旅管に引き継がれた。そこで、従来の第6師管は新しい第6旅管に引き継がれ、従来の第6軍管が新しい第6師管に引き継がれることになった。 新しい第6旅管は、第3師管のもとで北陸中心の管区を継承したが、愛知県で区域に変更があった。以前からの東春日井郡・西春日井郡・丹羽郡に加えて、葉栗郡と中島郡も第6旅管に属した。。 古い第6軍管は熊本鎮台の管区で、現在の九州地方を管区とした。これが変更なく新しい第6師管に引き継がれた。
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師管から旅管へ、軍管から師管へ
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「第1師管」の記事における「師管から旅管へ、軍管から師管へ」の解説
1888年に、鎮台が廃止されて師団制が施行されることになり、明治21年勅令第32号(5月12日制定、14日公布)で、陸軍管区は軍管 - 師管の2階層から師管 - 旅管 -大隊区の3階層に変わった。地域区分では、従来の軍管が同じ番号の師管に引き継がれ、従来の師管は同じ番号の旅管に引き継がれた。そこで、従来の第1師管は新しい第1旅管に引き継がれ、従来の第1軍管が新しい第1師管に引き継がれることになった。 新しい第1旅管は、旧第1師管とほぼ同じ地域を継承したが、東で少し縮小し、西で少しだけ拡大した。すなわち、東では従来からの2区4郡だけでなく、東京都の本郷区・浅草区・下谷区・南足立郡・北豊島郡と、埼玉県の北足立郡・中葛飾郡・新座郡も第2旅管に含まれた。かわりに長野県の全域が、南部も含めて第1師管になった。 旧第1軍管は、関東地方一円と山梨県、長野県北部を範囲としていたが、長野県が南部も含めた全域になるという形で、新しい第1師管の区域が定まった。
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