布教保護権の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 12:19 UTC 版)
古代ローマでは、聖職者や信徒たちによって選ばれた司教が、その管轄下の聖職者を任命した。ゲルマン法では、教会を設立した領主はその教会の所有権と聖職者の任命権を持つこととされたが、8世紀に教皇グレゴリウス3世がこの領主権を保護権へと変えたのがはじまりとなる。これにより、領主は聖職者の任命権でなく斡旋権を持つだけとなり、教会を設立した領主であってもその教会を恣意的に処分することはできなくなった。 中世には封建領主が自分の領土内に教会や修道院を建て、それらを自分の私有物として聖職者も独自に任命した。これは世俗の権力が教会の権力の上位に位置することであったため、ローマ教皇庁は司教の任命権者は教会側でなければならないと主張して、俗権と対立し叙任権闘争が起きた。アレクサンデル3世の時に領主は教会の保護者として聖職者の指名推薦権を有するのみで、職位を授ける権限は教会側に帰するという保護権の法制度が定められた。
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