市制・町村制施行以後
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「練馬区の町名」の記事における「市制・町村制施行以後」の解説
明治22年(1889年)、市制・町村制が施行され、東京市(15区からなる)が成立、東京府下の6郡は、既存の町村が整理統合されて85町村となった。85町村のうち北豊島郡に属していたのは19町村で、このうち上板橋村の一部と、下練馬村、上練馬村、中新井村、石神井村が現在の練馬区域にあたる。これら各村と、整理統合前の旧村との対応関係は以下のとおりである。 上板橋村(一部) - 江古田新田、旧上板橋村(字小竹) 下練馬村 - 下練馬村 上練馬村 - 上練馬村、下土支田村 中新井村 - 中村、中新井村 石神井村 - 上石神井村、下石神井村、関村、上土支田村、谷原村、田中村、田中新田、竹下新田 このうち、上土支田村・下土支田村は、もとの土支田村が明治2年頃に上・下に分かれて成立した。田中新田は田中村の北方に離れて位置する新田で、田中村と同一村と見なされる場合もあった。下練馬村は昭和3年(1928年)に町制施行して練馬町となった。 小榑村と橋戸村は明治22年に合併して埼玉県新座郡榑橋村(くれはしむら)となったが、この村名は2年間しか続かなかった。明治24年(1891年)、榑橋村は石神井村上土支田および埼玉県新座郡新倉村長久保を編入。同時に東京府の所属となり、東京府北豊島郡大泉村と改称した。 昭和7年(1932年)10月1日、東京市は周辺の5郡(荏原、北豊島、豊多摩、南足立、南葛飾)に属する82町村を編入し、いわゆる大東京市が成立した。なお、従前の6郡のうち、南豊島郡と東多摩郡が明治29年(1896年)に合併して豊多摩郡となっている。編入された82町村は20区に編成され、東京市は既存の15区と合わせ、35区から構成されることとなった。この時、北豊島郡板橋町、上板橋村、志村、赤塚村、練馬町、上練馬村、中新井村、石神井村、大泉村の2町7村の区域をもって板橋区(後の練馬区の区域を含む)が新設された。 昭和18年(1943年)7月1日、東京府と東京市が廃止されて、新たに東京都が設置された。この時、板橋区を含む35区は東京都直轄の区となった。昭和22年(1947年)3月15日、35区は22区に再編される。この時点では板橋区の区域には変更はなかったが、5か月後の同年8月1日、旧練馬町・上練馬村・中新井村・石神井村・大泉村の全部、旧板橋町の一部に該当する区域が練馬区として分区した。
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