巫女 (グエルチーノ、チェント)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/30 22:41 UTC 版)
イタリア語: Sibilla 英語: Sibyl |
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作者 | グエルチーノ |
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製作年 | 1620年ごろ |
種類 | キャンバス上に油彩 |
寸法 | 69 cm × 79 cm (27 in × 31 in) |
所蔵 | イル・グエルチーノ市立美術館 (チェント貯蓄銀行財団より寄託) |
『巫女』(みこ、伊: Sibilla、英: Sibyl)は、イタリアのバロック絵画の巨匠グエルチーノが1620年ごろにキャンバス上に油彩で制作した絵画である。グエルチーノが生涯にわたり手掛けた[1][2]巫女を主題としている。おそらくフェラーラの教皇特使を務めたジェノヴァ出身のジャコモ・セッラ枢機卿の甥が注文した作品であり、その後はずっとジェノヴァに留まっていたとされる[1]。1992年に知られるようになり、2003年のオークションで落札され、チェント貯蓄銀行財団 (Fondazione Cassa di Risparmio) の所有となった[1]。現在、財団からイル・グエルチーノ市立美術館に寄託されている[2]。
作品
画面の巫女は本を参照しつつ、石板に記された文字を読んでいるところである。石板と本の間にいる彼女は自然と身体をひねることとなり、画面に動きがもたらされる結果となっている[1]。この巫女は、ボローニャ国立絵画館に所蔵されている『巫女』とややずんぐりした体格と顔立ちがよく似ており、同じモデルを用いていると考えられる。身の回りにいる女性を理想化せずに描くのは、初期のグエルチーノの特徴である[1]。
巫女は宝石のついた高価な衣服と異国趣味のターバンで東洋風に装っているが、このような衣装は17世紀には古代の巫女を特徴づけるものと考えられていた[2]。とはいえ、本作の巫女とまったく同じ扮装をした同じ女性が同時期の『クレオパトラの死』 (ノートン・サイモン美術館、パサデナ) にも登場する。これらの作品において主題はさほど重要ではなく、グエルチーノの関心は女性美の追求にあった[1]。
強い明暗や調和を見せる各色面、画面を満たすような人体はボローニャ国立絵画館の巫女と共通している一方、本作の色彩はより鮮やかで、肌に生気がみなぎっている[1]。ヴェネツィア旅行から戻ったグエルチーノは初期の代表作『聖ギヨームの着衣式』 (ボローニャ国立絵画館) を描き、後年「あのころ、鍋は沸騰していた」と振り返っているが、本作も彼が最も力強い表現をしていた同時期の作品であり、画面には旺盛な制作欲や集中力が見られる[1]。
ギャラリー
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グエルチーノ『巫女』 (1619-1620年)、ボローニャ国立絵画館
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グエルチーノ『クレオパトラの死』 (1621年ごろ)、ノートン・サイモン美術館、パサデナ
脚注
- ^ a b c d e f g h 『グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家』、2015年、80頁。
- ^ a b c “Sybil”. イル・グエルチーノ市立美術館公式サイト (英語). 2025年4月17日閲覧。
参考文献
- 『グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家』、国立西洋美術館、ボローニャ文化財・美術館特別監督局、チェント市、TBS、2015年刊行 ISBN 978-4-906908-12-7
外部リンク
- 巫女_(グエルチーノ、チェント)のページへのリンク