隠修士聖パウルスとは? わかりやすく解説

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隠修士聖パウルス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/29 23:12 UTC 版)

『隠修士聖パウルス』
イタリア語: San Paolo eremita
英語: Saint Paul the Hermit
作者 グエルチーノ
製作年 1652-1655年
種類 キャンバス上に油彩
寸法 178 cm × 233 cm (70 in × 92 in)
所蔵 ボローニャ国立絵画館英語版チェント

隠修士聖パウルス』(いんしゅうしせいパウルス、: San Paolo eremita: Saint Paul the Hermit[1]、または『カラスに食物を与えられる隠修士聖パウルス』(カラスにしょくもつをあたえられるいんしゅうしせいパウルス、: San Paolo primo eremita nutrito dal corvo[2]は、イタリアバロック絵画の巨匠グエルチーノが1652-1655年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。ザンベッカーリ (Zambeccari)・コレクションに由来し[2]、現在、ボローニャ国立絵画館英語版に所蔵されている[1][2]。伝記作者カルロ・チェーザレ・マルヴァジーア英語版によれば、本作はグエルチーノが自宅の装飾のために『悔悛するマグダラのマリア』 (ボローニャ国立絵画館)、『洗礼者聖ヨハネ』 (個人蔵)、『聖ヒエロニムス』 (複製のみ現存) とともに描いた作品である[1]

作品

マルヴァージアが情報源としているグエルチーノの「勘定帳」には、本作と上記3点の作品に関する記載が見られない。このことは、4作品が注文によるものではなく画家自身のための私的な作品であったとする見解を裏づける[1]

グエルチーノ『悔悛するマグダラのマリア』 (1652-1655年)、ボローニャ国立絵画館

これらの絵画がどこに、どのような配置で掛けられたのかについては一切資料が残されていない。しかし、連作として構想されたことは確かであろう[1]。4点はいずれもほぼ同じサイズの横長のキャンバスに描かれ、風景と青空を背景に聖人が唯一の人物として登場する。また、聖人たちはいずれも荒野で禁欲的な隠遁生活を送ったことで知られ、主題的に相関が認められるのは明らかである[1]

聖パウルスエジプトテーベの出身で、ローマ皇帝の迫害を避けて砂漠に逃れた。そして、60年間、洞窟を住処として孤独のうちに禁欲と瞑想の生活を送ったとされる[1]。彼のもとには毎日、黒い鳥が飛んできてパンを届けたという伝承がよく知られており、本作の場面にはその情景が表されている。長く白いひげを生やしたパウルスは、石積みの祭壇に置かれた書物から顔を上げ、背後を振り返ったところである。彼が伸ばした右手の先には、パンをくわえた鳥が見える[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家』、2015年、142頁。
  2. ^ a b c (イタリア語) San Paolo primo eremita nutrito dal corvo”. ボローニャ国立絵画館公式サイト (イタリア語). 2025年4月15日閲覧。

参考文献

外部リンク




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