左沢藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 13:49 UTC 版)
左沢藩(あてらざわはん)は江戸時代初期に出羽国村山郡左沢(山形県西村山郡大江町)付近を領有した藩で、庄内藩の支藩ではないが庄内藩主酒井忠勝の弟・直次が封じられたことからここに記す。 元和8年(1622年)、山形の最上氏の改易によって、庄内藩成立と同時に酒井忠勝の弟・直次が村山郡左沢で1万2,000石を与えられ成立した。寛永元年(1624年)に、成立当初に錯綜していた幕府領と左沢藩領が整理され73箇村に確定した。藩主直次は当初居城を左沢楯山城としたが、後に小漆川に築城を始め、城下町の造営に着手した。左沢藩は藩主直次が寛永8年(1631年)3月10日に嗣子なく没したため収公され幕府領となった。この左沢領は収公後に庄内藩の預地となり、寛永9年(1632年)に加藤忠広の改易庄内藩預かり処分に伴い庄内藩丸岡領1万石と交換の形で庄内藩領となった。さらに慶安元年(1648年)には出羽松山藩の分知成立により、同藩領となった。 直次は青苧(あおそ)畑の検地を行なっていて、青苧畑については最上氏の時代から既に領内の上・下五百川の村々に青苧畑に浮役として課税が行なわれていた。これが検地により左沢藩全体に本来の一般の畑としての課税に加え、青苧役が二重に課税されることとなった。両五百川領ではさらに従来の浮役がそのままとなっていて三重の課税となった。浮役は金納から米納となって浮役代米として納められていて、青苧役も当初は現物納であったものが、庄内藩領となった寛永9年までには米納となり青苧代米として納められた。 藩主:酒井直次
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