工場の近代化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/28 01:32 UTC 版)
昭和時代戦後期の繊維工場では徹底した省力化、自動化を進展させて小人数の労働者での生産が目標となった。 東洋紡績株式会社では近年になって、昭和63年に手編糸製造特急列が完成した。 平成4年にオーセント設備が完成した。 平成6年に、オートコーナー238が完成した。 平成7年に精紡機AD化設備が完成した。 平成9年に精紡機のRXWが4台も増設されて、仕上工程捲返機2台増設など省力化・自動化の努力がされた。 東洋紡績楠工場が所属する東洋紡三重が4分社化された。 平成14年に羊毛事業再構築計画を実施したため以下の企業に分割された。 東洋紡三重テクノウールは平成11年に東洋紡績楠工場と四日市市常盤地区内の中川原駅周辺の中川原の三重工場が統合して中川原に東洋紡テクノウールが誕生した。東洋紡三重楠工場医療用具製造センターが東洋紡績楠工場にできる。東洋紡ロジスティク楠は物流事業と倉庫事業をしている。東洋紡ミシン糸と給食事業をする東洋紡実業ができた。北楠駅付近に楠工場が立地している。 1989年(平成元年)には300人を超えた女子寮の女子が、2000年(平成12年)には入居者が0人となり女子寮が解体された。東洋紡績楠工場には高級品にダイヤモンド毛糸の看板がある。楠町の本郷に立地。従業員は150人である。
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