工事再開から石北線開通まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/30 05:15 UTC 版)
「カボチャ陳情団」の記事における「工事再開から石北線開通まで」の解説
1925年(大正14年)9月、石北線工事の延期は撤回された。11月には工事が再開され、その2年後の昭和2年、遠軽 - 丸瀬布間の鉄道が開通した。1929年(昭和4年)には丸瀬布 - 下白滝間、下白滝間 - 白滝、上川 - 中越間と続々と開通した。 こうして工事が次々に進められる最中にも、市原は毎年、恩人である仙石貢を始めとする関係者たちにカボチャを1俵ずつ贈り、鉄道建設に対する信念を忘れさせないよう、努力を続けた。 1932年(昭和7年)、石北線最大の難所である石北トンネルの掘削と路盤工事が完成。鉄道工事再開から8年の後、石北線は全線開通に至った。 この鉄道の開通により、北海道の開拓中の僻地の貧しさは一変した。北海道の豊富な農産物や木材などが本州の消費地へ運ばれ、日本の近代化を支えることとなったのである。
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