州設立後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/02 02:03 UTC 版)
1927年には県が廃され州が置かれ、レニングラード州となった。 1929年から1939年にかけ、西部州 (Западная область, Western Oblast)、カリーニン州(カリーニングラード州とは別)、ヴォログダ州、ムルマンスク州が新設され、レニングラード州から、あるいはレニングラード州を含む複数の州から分離した。また、1931年にはレニングラード市(サンクトペテルブルクのソ連時代の名)が分離した。 1940年、冬戦争の講和条約モスクワ平和条約によりフィンランドから割譲された領土のうち、カレリア地峡がレニングラード州に編入された。従来のフィン・ウゴル系住民はフィンランドへの難民となり、ロシア人が移住した。 1941年に始まった独ソ戦では、一部がドイツに占領されレニングラード包囲戦が戦われた。同じ年にフィンランドと継続戦争も始まり、旧フィンランド領地域が占領された。ただしそれらは全て回復した。 戦後も小さな拡大縮小はあり、現在の領域となったのは1978年である。 1991年にレニングラードは名前をサンクトペテルブルクに戻したが、レニングラード州の名はそのままである。 2019年10月1日より、電子査証によるサンクトペテルブルクおよびレニングラード州への訪問が可能となった。(詳細はロシアの査証政策を参照)
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