州昇格への動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/28 01:47 UTC 版)
南北戦争の終結に続いて、州昇格の動きが持ち上がった。アメリカ合衆国議会では1865年遅くに準州に対する認可法案を通したが、アンドリュー・ジョンソン大統領に拒否権を発動された。その後の11年間準州の認可運動は立ち往生し、幾度か終了宣言もあった。ユリシーズ・グラント大統領が1870年に準州の州昇格を提唱したが、議会が動かなかった。 こうしている間に、準州は鉄道が無いために脅威を感じるようになった。1860年代遅くまでに、ダコタの者の多くがその事業を売却し、最初の大陸横断鉄道沿線にあって勃興した北のダコタ準州にあるララミーやシャイアンに移っていった。町の衰退の可能性と北の町の陰に隠れてしまう怖れに直面したデンバーの市民は、資本金を出し合ってデンバー・パシフィック鉄道を建設し、北のシャイアンからデンバーに鉄道網を引っ張ってきた。カンザス・パシフィック鉄道が2ヵ月後にデンバーまで貫通した。この動きでデンバーが将来の地域中心都市として果たす役割を具現化した。準州は1876年に合衆国の州として昇格を認められた。
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