嵯峨天皇宸翰
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嵯峨天皇は、空海・橘逸勢とともに三筆と称される能書であり、嵯峨天皇の宸翰と伝えられる書には以下のものがある。 光定戒牒(こうじょうかいじょう)(延暦寺蔵) 最澄の弟子の光定が、弘仁14年(823年)4月14日、延暦寺で菩薩戒を受けた時、朝廷から給せられる通知を執筆したものである。宸翰と断定できるのは、光定が撰した伝述一心戒文の中に「厳筆徴僧が戒牒を書し給ひ、恩勅之を賜ふ」と記されていることによる。楷行草を交えた荘重な書風で、空海に学んだものと推定される。 哭澄上人詩(こくちょうしょうにんし)(個人蔵、青蓮院伝来) 弘仁13年(822年)最澄の入寂を悲しんだ嵯峨天皇の五言排律(12句60字)の詩で、宸翰と伝えられるが、自筆原本でなく写しであるとする説もある。草書体で気品に富み、大師風(空海の書風)が認められる。 李嶠百詠断簡(りきょうひゃくえいだんかん)(御物) 唐の詩人李嶠の百二十詩を行書体で書写した断簡(だんかん、切れ切れになった文書)である。用筆は変化に富み、純粋な唐風の書である。古来嵯峨天皇宸翰と伝えるが、現代の書道史では異筆とみなされている。
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