光定戒牒(こうじょうかいじょう)(延暦寺蔵)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/05 05:47 UTC 版)
「宸翰」の記事における「光定戒牒(こうじょうかいじょう)(延暦寺蔵)」の解説
最澄の弟子の光定が、弘仁14年(823年)4月14日、延暦寺で菩薩戒を受けた時、朝廷から給せられる通知を執筆したものである。宸翰と断定できるのは、光定が撰した伝述一心戒文の中に「厳筆徴僧が戒牒を書し給ひ、恩勅之を賜ふ」と記されていることによる。楷行草を交えた荘重な書風で、空海に学んだものと推定される。
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