島津家墓塔の特色
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 20:54 UTC 版)
「鹿児島島津家墓所」の記事における「島津家墓塔の特色」の解説
島津宗家の墓塔は、塔の種別としては15世紀以来宝篋印塔を用い、石材は山川石を用いている。墓塔は時代とともに大型化・装飾化の一途をたどり、18代当主(初代薩摩藩主)島津家久の墓塔(1638年)において、近世大名墓塔としての形式が確立。以後は幕末の島津斉彬墓塔まで、11代、200年以上にわたって、同じ形式が引き継がれた。 鹿児島地方では、五輪塔よりも宝篋印塔に一段高いステータスが認められていた。宗家当主夫妻の墓塔には山川石製の大型の宝篋印塔が用いられる一方、一門家を含む家臣の墓塔は、塔の規模・形式、使用する石材種などにおいて差がある。いわば、墓塔はステータスシンボル化し、宗家とそれ以外との階層化を示している。たとえば、越前家や垂水家の墓塔では形式は宝篋印塔が用いられるが、規模は本宗家のものより小さく、石材は山川石ではなく凝灰岩である。加治木家墓所では宝篋印塔ではなく五輪塔が用いられ、宮之城家墓所では石廟(祠形)が用いられている。
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