島津崋山・彦梁とは? わかりやすく解説

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島津崋山・彦梁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/10 19:39 UTC 版)

若狭島津氏」の記事における「島津崋山・彦梁」の解説

元文2年1737年)に京都誕生。諱は義張、字は琴王。左馬介と称した崋山は号。崋山生誕翌年に母の後藤氏が、さらにその翌年に父の島津義忠号して衷良)も死去するこのため、父の友人医師京極高安夫婦に引きとられて養育された。最初医術を、後に儒学修めたその後平島公方8代目平島義宜招かれ平島移住し古津の「龍閣」に往み、義宜の子足利義根の師となり、この地方好学の士僧侶教育した華山の妻・操も作詩したようで、辞世の句墓碑残っている。寛政6年1794年7月23日平島(現・徳島県)で没。享年58那賀川町大京原中塚墓地埋葬された。 華山義妹とその夫・平島公方家臣・高橋言守が2人男子残し、ともに死去したため、華山朝彦のみを引き取り養子とした。彦は9代当主・義根に仕え、「龍閣詩集」の編纂助けたその後、義根は藩主に増禄を求めた受け入れられず、文化2年1805年阿波去って紀伊行き、さらに京都移った。彦も義根に従い京都に移る。

※この「島津崋山・彦梁」の解説は、「若狭島津氏」の解説の一部です。
「島津崋山・彦梁」を含む「若狭島津氏」の記事については、「若狭島津氏」の概要を参照ください。

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