岩村城の奪還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 14:49 UTC 版)
妻木頼忠は田丸の出勢を土岐郡の砦に抑え込み東軍は頗る優勢であった。そして諸将は共に岩村城に迫り包囲した。遠山友政は山村・千村などの木曾衆と共に500騎で富田村の入り口に陣を置き、遠山利景は小里光親と共に300余騎をもって南口より岩村城の面に陣を置いた。小笠原靱負は上村口の後詰めをなした。まさにこの時に関ケ原の戦いが行われ西軍が大敗したことが伝わった。遠山友政は次山次郎兵衛を岩村城中に遣わし田丸直昌に開城を促した。田丸直昌は暫く猶予を乞い、その後使者を通じて「開城のことは承諾した。されど城将親しく攻将に会見しよう遠門まで來駕を乞う」と。それで遠山友政の家臣の纐纈藤左衛門が黒糸の鎧に二尺八寸の太刀を佩いて田丸直昌に面接した。田丸直昌は髻を断ち家老の石部下記を召し連れ出て来て悄然として言うには「開城のことは仔細なし。是より高野山に赴かんにも、その料足りなければ給せられたい。且また白昼に城を出るは敗将と雖もあまりに面目無きことである。暮れ方になってから出発しよう。ここより西濃へまでの無案内を一人添えられたい」と。纐纈藤左衛門はこれを承諾して袂を別った。これより岩村城内で開城の準備を進め人質小屋を開いて解放した。その間に田丸氏の家臣たちは思い思いに退散した。やがて薄暮になって田丸直昌は旅装を整え家老を召して郎党の足軽に長刀一振を持たせて孤影悄然として岩村城を出た。遠山友政は纐纈藤左衛門を介して黄金50両を贈る。直昌はそれに感謝して家伝の長刀を渡し、夜に紛れて立ち去った。
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