岡村道雄の区分
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 17:18 UTC 版)
考古学者の岡村は、定住化の程度で時期区分すると草創期から早期半ば頃までは、住居とゴミ捨て場が設置されるが、住居を持たなかったり、季節によって移動生活を送るなどの半定住段階であると想定している。この段階は縄文時代の約半分の時間に相当する。次いで早期末から 前期初頭には、定住が確立し集落の周りに貝塚が形成され、大規模な捨て場が形成される。中期後半には、東日本では地域色が顕著になるとともに、大規模な集落が出現して遺跡数もピークに達する。一方西日本では遺跡数が少なく定住生活が前期には既に後退している可能性すらある。後期になると東北から中部山岳地帯の遺跡は、少数で小規模になり分散する。関東は大規模貝塚を営み、西日本も徐々に定住生活が復活する。後期後半には近畿から九州まで定住集落が散見されるようになる。この傾向は晩期前半まで続き、後半はさらに定住化が進み、瀬戸内地方から九州北部は水田稲作農耕を導入後、弥生時代早期へと移ってゆく。
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