山本泰照_(競艇選手)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 山本泰照_(競艇選手)の意味・解説 

山本泰照 (競艇選手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/17 22:55 UTC 版)

山本泰照
基本情報
国籍 日本
出身地 岡山県
生年月日 (1941-08-27) 1941年8月27日(83歳)
選手情報
所属 岡山支部
登録番号 1845
登録期 16期
特徴 自在
選手実績
デビュー日 1964年
選手引退日 1998年12月20日
記念優勝 0回
SG優勝 1回
GI/PGI優勝 0回
通算優勝 58回
通算勝率 6.35
通算勝利 2001勝
主要獲得タイトル
テンプレートを表示

山本 泰照(やまもと やすてる、1941年昭和16年〉8月27日 - )は、岡山県出身の元競艇選手

愛称は名前の「泰照」を音読みした「タイショウさん[1]

弟の山本尚甫も元競艇選手[1]

山本寛久の叔父。

来歴

1964年登録の16期生としてデビューし[2]田中理と同期である。

1976年末の宮島優勝戦は逆光で他の選手がアジャストし、スリットで1艇身抜け出して、3回目の優勝を果たす[1]

1977年には第12回鳳凰賞競走下関)ではスタートで飛び出した中道善博小林嗣政が飛びつき、2マークで古賀武日児と中道が大競りしたところを差し抜ける[1]。中道はフライングで失格となり、山本が1マークで大競り、2マークも大競りという展開を突いて優勝[1]。切れのあるセンター戦[3]で自身唯一の四大特別競走制覇を果たし、優勝賞金は現金で800万円もあり、選手になって初めて手にする大金となった[1]。同僚の武田章が「タイショウさん、皆の弁当代と代を出しない。警護して帰ってやるから」と言ってくれたため、帰りのこだまの車内では3人掛けシートを向かい合わせにして山本を囲むように座ってもらい、新倉敷からは万谷章林通に自宅まで送ってもらった[1]。自宅に着くと、今度は「どこにお金を隠すか」に悩む。金庫は無く、田圃の中の一軒家で、何かあったらと弟の尚甫夫婦が来てくれた[1]。結局、箪笥の後ろに100万円ずつの束を投げ入れ、翌日銀行に預けた[1]。鳳凰賞の後のレースで工具箱を開けると、いつも使わないホット系で出足型の9番のプラグが入っていた[1]。コールド系で伸び型の10番のプラグと間違えて買ってしまい、北原友次から「(優勝戦前に)新品のプラグに換えて焼いておけ」と言われて買った新品のプラグが10番ではなく9番であり、9番が強烈なターン回りを引き出した[1]

連覇が懸かった1978年の第13回鳳凰賞競走(丸亀)でも優出したが、北原の「グランドスラム」達成を許し5着に終わる[1]。その後も「鳳凰賞とダービーにはいくらでも出ることができたけど、笹川賞MB記念は強い選手が多すぎて出してもらえない」と言われたほどの選手層を誇った強豪・岡山勢[1]を代表するレーサーの一人として活躍するが、レース中にに負った大怪我で成績が思うように残せなくなる[2]

1997年9月15日一般戦「高虎杯」で村田瑞穂柏野幸二と共に優出したのが最後の優出となり、5号艇6コース進入で5着[4]に終わった。

1998年11月3日の丸亀一般戦「七尾市親善都市記念フレンドリーカップ」最終日3Rで通算2000勝(4号艇5コースから差し切り)[5]を達成し、ひとつの区切りがついたもあり、引退を決意[2]。引退のことは夫人だけに告白し、競艇関係者や仲間には言わなかった[2]

同15日三国「一般競走」最終日1Rで5号艇ながらインから逃げ切りを決め、最後の勝利となる2001勝目[6]を挙げた。引退シリーズとなった桐生の年末開催一般戦では、競技委員長に全てを言い、競技委員長から選手代表の吉田稔へと伝わり、最終日には参加していた選手から餞別が送られ、山本の家族が桐生まで来て山本最後のレースを観戦した[2]。最後の出走は12月20日1Rとなり、5号艇4コース進入で結果は5着であった[7]

引退後はJLC専属解説者へ転進し、熱心で分かりやすいと好評である[3]

2007年、ボートレース殿堂マイスター入りを果たす[3]

獲得タイトル

  • 1977年 - 第12回鳳凰賞競走(下関)

脚注

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  山本泰照_(競艇選手)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「山本泰照_(競艇選手)」の関連用語

山本泰照_(競艇選手)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



山本泰照_(競艇選手)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの山本泰照 (競艇選手) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS