山本勘太夫家
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屋号の通称は東山。最盛期には分家を輩出するなど宗家源太夫を凌ぐ程の隆盛を極めたが、明治三十年には後継者の引き継ぎ手がおらず一度活動を休止している。その後も昭和期に跡取りが相次ぎ戦死に見舞われるなど、半世紀以上の活動休止を経て昭和四十六年に再興を果たした。当代は再興二代目である。一度再興を経験した社家らしく全国各地での回檀・総舞の復活に力を入れると共に、各種メディアへの出演や社中公式WEBサイトの独立運営など、伊勢大神楽の枠を超えた活動を行う社中である。古来は滋賀県・島根県・兵庫県を主な檀那場としていたが、再興後は滋賀県・大阪府・岡山県・広島県を檀那場としている。家元は伊勢大神楽講社の責任役員を担う。
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