山口県立医学専門学校時代
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「山口県立医科大学」の記事における「山口県立医学専門学校時代」の解説
1944年1月18日: 専門学校令により旧制山口県立医学専門学校設置認可。 1944年1月23日: 宇部市議会、医専誘致のため旧宇部商業学校の校地・校舎、金100万円の寄附を決定。金100万円のうち 50万円は、当時宇部興産会長であった渡辺剛二の寄附による(渡辺は京都帝大医学部を卒業した医師でもあり、山口県医師会長も務めていた)。 1944年1月26日: 山口県議会、県立医専を 4月1日から宇部市に開校する旨を決定。 1944年4月25日: 山口県立医学専門学校、開校。修業年限4年。 1945年: 宇部空襲 (7月2日、7月22日、8月5日)。校内に仮診療所を設置、負傷者治療に従事。 後に附属医院となる宇部興産沖ノ山同仁病院、壊滅状態となり新川国民学校に移転。 1945年9月: 12日-20日、長崎原爆被害調査団を派遣、新興善国民学校で活動。 1946年3月: 富田初代校長、軍医養成機関の長として戦争協力の責任を取り辞職。辞職後、生地 兵庫県加古郡野口村に診療所を設立。 1946年9月: 宇部興産沖ノ山同仁病院・同 東見初病院・宇部市立伝染病院を附属医院とする。医専存続のため、辛うじて病床数を確保した。 1946年11月: 医大昇格運動勃発。 1947年2月5日: 山口県議会、県立医専の大学昇格案を決議。 1947年3月1日: 文部省に県立医科大学設置認可を申請。 1947年4月1日: A級医専と判定され、5年制に年限延長。
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