小堀遠州流の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 21:16 UTC 版)
遠州の弟小堀正行は、父正次と共に召されて家康に仕えた。1,000石の小姓組であったが、父の遺領2,000石の分知を受けて以後、正行家は3,000石の旗本となる。7世政報、8世政展はともに本家5世正峯の子が養子に入り、以後遠州直系となる。10世政徳は「寛政重修諸家譜」の家譜調査に小堀家系譜を幕府に呈譜した。12世政休(宗舟)は徳川家茂、徳川慶喜に仕えていたが、明治維新後は徳川家の依頼を受け上野東照宮の堂守を勤めたほか、神田練塀町に家元として立ち、茶道を教授した。茶道普及のために関西に赴き、明治28年には、京都・大徳寺孤篷庵にて遠州没後250年祭を催す。安田善次郎との交流など、遠州の茶の湯を継承する茶人として活躍した。高松宮妃殿下の師範を勤めた14世進(宗忠)以後は東京を拠点とし、小堀遠州から連綿と続く茶道の普及に務める。
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