尊王志士・義民としての根本氏とは? わかりやすく解説

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尊王志士・義民としての根本氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 14:02 UTC 版)

根本氏」の記事における「尊王志士・義民としての根本氏」の解説

根本新平 水戸藩士。諱は義信祐介長男新介の兄。安政6年1859年)の水戸藩密勅事件以来国事奔走文久3年1863年)、藩主に随い上洛元治元年1864年3月から転戦西上して越前敦賀拘禁され慶応元年1865年2月4日斬首となる。贈正五位靖国神社合祀根本新之介 新平の弟。諱は義次。元治元年1864年3月筑波勢に加わるが、大将藤田小四郎意見合わず隊を去る。9月6日鹿島郡大船津捕らわれ下総国岩井斬首となる。享年21靖国神社合祀根本市太郎 常陸国行方郡上戸村百姓天狗党加わり那珂湊から家に帰る途中、捕えられて元治元年1864年10月鹿島郡大貫村斬首となる。 根本熊太郎 行方郡潮来村の百姓。要七の次男慶応元年1865年2月19日敦賀斬首となる。 根本儀之衛門 那珂郡竹瓦里正下総国銚子から江戸佃島移され慶応2年1866年6月11日獄死する根本清一 水戸藩士目付同心。諱は道之。慶応3年1867年3月27日安房国勝山獄死する享年25靖国神社合祀根本三陽之介 常陸国久慈郡神田村の者。上土木内社祠官 専太郎の父天狗党加わり捕縛される慶応3年1867年10月8日獄死享年42靖国神社合祀根本三郎 諱は徳成。半衛門次男元治元年1864年10月18日天狗党側に加わり那珂郡部田野で傷を負い自決する。享年22水戸常磐墓地に墓。靖国神社合祀根本益親 宍戸藩士。元治元年1864年12月15日天狗党側に加わり捕らわれて獄死する靖国神社合祀根本正之介 諱は徳郷。常陸国那珂郡山方村横目役里正久慈郡中染戦った後に帰郷する元治元年1864年9月12日暴徒囲まれ自刃する。享年35靖国神社合祀根本一之介 宍戸藩士。諱は益之。慶応3年1867年)、天狗党側に加わり捕らわれて獄死する靖国神社合祀根本益行 宍戸藩士。元治元年1864年10月16日天狗党側に加わり捕らわれて水戸斬首となる。靖国神社合祀根本益習 宍戸藩士。元治元年1864年12月15日天狗党側に加わり捕らわれて獄死する享年52靖国神社合祀

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