尊王志士・義民としての根本氏
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「根本氏」の記事における「尊王志士・義民としての根本氏」の解説
根本新平 水戸藩士。諱は義信。祐介の長男で新介の兄。安政6年(1859年)の水戸藩密勅事件以来国事に奔走、文久3年(1863年)、藩主に随い上洛。元治元年(1864年)3月から転戦。西上して越前敦賀に拘禁され、慶応元年(1865年)2月4日、斬首となる。贈正五位。靖国神社合祀。 根本新之介 新平の弟。諱は義次。元治元年(1864年)3月、筑波勢に加わるが、大将の藤田小四郎と意見合わず隊を去る。9月6日、鹿島郡大船津で捕らわれ、下総国岩井で斬首となる。享年21。靖国神社合祀。 根本市太郎 常陸国行方郡上戸村の百姓。天狗党に加わり、那珂湊から家に帰る途中、捕えられて元治元年(1864年)10月、鹿島郡大貫村で斬首となる。 根本熊太郎 行方郡潮来村の百姓。要七の次男。慶応元年(1865年)2月19日、敦賀で斬首となる。 根本儀之衛門 那珂郡竹瓦村の里正。下総国銚子から江戸佃島へ移され、慶応2年(1866年)6月11日、獄死する。 根本清一 水戸藩士。目付同心。諱は道之。慶応3年(1867年)3月27日、安房国勝山で獄死する。享年25。靖国神社合祀。 根本三陽之介 常陸国久慈郡神田村の者。上土木内静社祠官 専太郎の父。天狗党に加わり、捕縛される。慶応3年(1867年)10月8日、獄死。享年42。靖国神社合祀。 根本六三郎 諱は徳成。半衛門の次男。元治元年(1864年)10月18日、天狗党側に加わり、那珂郡部田野で傷を負い自決する。享年22。水戸常磐墓地に墓。靖国神社合祀。 根本益親 宍戸藩士。元治元年(1864年)12月15日、天狗党側に加わり、捕らわれて獄死する。靖国神社合祀。 根本正之介 諱は徳郷。常陸国那珂郡山方村横目役兼里正。久慈郡中染村で戦った後に帰郷する。元治元年(1864年)9月12日、暴徒に囲まれて自刃する。享年35。靖国神社合祀。 根本一之介 宍戸藩士。諱は益之。慶応3年(1867年)、天狗党側に加わり、捕らわれて獄死する。靖国神社合祀。 根本益行 宍戸藩士。元治元年(1864年)10月16日、天狗党側に加わり、捕らわれて水戸で斬首となる。靖国神社合祀。 根本益習 宍戸藩士。元治元年(1864年)12月15日、天狗党側に加わり、捕らわれて獄死する。享年52。靖国神社合祀。
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