家系と修行時代
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「サイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサン」の記事における「家系と修行時代」の解説
ムハンマドは1856年4月7日、エチオピア・オガデン地方のサマデークの谷(Sa'Madeeq)で生まれた。ソマリア北部キリット(Kirrit)の生まれとする説もある。 ソマリ族にとって家系は重要な意味を持つ。ムハンマドの曽祖父シャイフ・イスマン(Sheikh Ismaan)はソマリ族の大氏族ダロッドの支族であるオガデン族 (Ogaden) 出身で、シェベリ川下流の町バルデ(Barde)に生まれた。イスマンは、シェベリ川上流の町ケラフォ (Kelafo) (現エチオピア)に住んでいたが、後にジュバ川沿いの町バルデラに移り住んだ。ムハンマドの祖父ハサン・ヌール(Hasan Nur)はソマリア北東部(後のイギリス領ソマリランド東部)のダロッドの支族デュルバハンテ族 (Dhulbahante) の居住地区に移り住み、宗教関係施設をいくつか作り、礼拝を行った。 ムハンマドの父のアブディル(Abdille)もシャイフとなった。アブディルはデュルバハンテ族の女数人と結婚し、子供を30人作った。ムハンマドの母チミロ・サデ(Timiro Sade)はデュルバハンテ族の支族アリ・ゲリ族の出身で、この氏族はオガデン族との関連も深かった。 ムハンマドは、アブディルの末子として生まれた。ムハンマドの家系はオガデン族バー・ゲリ族(Bah Geri)レールハマー(Reer Xamar)になるが、デュルバハンテの遊牧民として育った。デュルバハンテの遊牧民はラクダとウマの扱いがうまく、戦士としても優秀だった。ムハンマドは特に母方の祖父サデ・モガン(Sade Mogan)を敬愛した。ムハンマドは優秀な騎士となり、11歳にはクルアーンを暗誦してハーフィズと認められた。その後もムハンマドは宗教的研鑽を続け、19歳でシャイフの称号を得た。 1875年、ムハンマドの祖父が急死した。同じ年、ムハンマドはクルアーンの教師として働き始めた。2年後、さらなるイスラーム教の研究のために職を辞し、ハラール (エチオピア)、モガディシュ、スーダンなどを巡った。ムハンマドが師とした者はソマリ族やアラブ人など72人に上る。1891年、ムハンマドは帰郷し、オガデン族の女性と結婚した。3年後、30歳となったムハンマドらはおじ2人を含む13家族と共にハッジ(巡礼)のためメッカに向かった。彼らは1年半メッカにとどまって、スーダン出身の神秘主義者モハメッド・サーリフ(Mohammed Salih)に学んだ。モハメッド・サーリフは「サーリヒーヤの教え」(Saalihiya)を授け、ムハンマドはこの影響を大きく受けた。
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