家系と支族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 07:44 UTC 版)
昌泰4年(901年)、昌泰の変により菅原道真は大宰府に左遷され、その子らも配流の憂き目に合ったが、延喜3年(903年)に太宰府に配流された菅原道真が死すと、怨霊を恐れた朝廷によりその一族は復権した。 正暦年中(990年 - 995年)、道真の曾孫資忠の次男良正が出家して美作国勝田郡香爐寺に移り住んだ。良正から数代後の知頼は承暦2年美作守となって任国に下り、在職中に作州勝田郡で死去。その子真兼(実兼)は押領使となってそのまま作州に住み着き、美作菅党の祖となる。 美作で菅原氏を称する氏族には、土着した菅原氏から直接派生したものと、元々それぞれの土地に基盤を確立していた一族が美作菅氏と養子・婚姻関係を結んで菅原姓を称したものがおり、それら諸氏の派生についてはさまざまな伝承がある。
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