宮澤保夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/01 07:40 UTC 版)
みやざわ やすお
宮澤 保夫
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生誕 | 1949年7月27日![]() |
死没 | 2022年3月23日(72歳没)![]() |
死因 | 肺癌(右肺腺癌) |
出身校 | 慶應義塾大学文学部中退[1] |
職業 | 教育実業家 |
活動期間 | 1972年〜2022年 |
団体 | 星槎グループ・学校法人国際学園 |
宮澤 保夫(みやざわ やすお、1949年〈昭和24年〉7月27日 - 2022年〈令和4年〉3月23日)は、日本の教育実業家。星槎グループ名誉会長[2]、世界こども財団設立者・理事長[3]。
来歴
東京都町田市で生まれる[4][3]。1968年、藤沢商業高校を卒業し、ベ平連の活動とアマチュア無線に熱中する[4]。1970年、慶應義塾大学文学部通信教育課程に進学[4]。1972年、学習塾「鶴ヶ峰セミナー(現:ツルセミ)」を開塾する[3][5]。当初は生徒が2名であったが、口コミで広まり通学生が増加する[3][5]。塾経営が多忙となり、1972年に慶應義塾大学文学部を中退する[4][6]。
1985年、日本初の企業外技能連携校となる宮澤学園高等部を開校する[3]。1999年、星槎国際高等学校を設立[4]。2004年、星槎大学を開学[4]。これ以降、不登校、身体的ハンディキャップ、自閉症、学習障害の子供たちが必要とする学びの場を設け、幼稚園から星槎大学大学院までにわたる星槎グループを創設する[3]。2022年時点で、のべ4万人余りが学んだとされる[3]。2010年、一般財団法人「世界こども財団」を設立[4][7]、2015年に公益財団法人となる[3]。同財団では、世界の子供たちの教育、医療、スポーツなどをサポートする[3]。
2013年、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修了[8]。指導教員は平田竹男[8]。2016年、道都大学などを経営した学校法人北海道櫻井産業学園を傘下とする。
2022年3月23日に肺癌のために72歳で他界[9]し、7月27日にお別れの会を開いた。
海外援助
アマチュア無線
「JH1AJT」の呼出符号を持ち、DXペディションを度々行う「ゾロ(英: Zorro)」のハンドルネームで知られたアマチュア無線家でもあった[11]。第二級アマチュア無線技士の国家試験で、替え玉受験をしたとして1999年6月16日、有印私文書偽造で逮捕された[12]。
脚注
- ^ 宮澤保夫(星槎学園創設者)第3回「”認める”ことから始まる教育」令和6年3月10日閲覧
- ^ a b 河野正樹 (2016年8月22日). “新興エリトリアの新星が4位 「努力すれば明るい未来」”. 朝日新聞デジタル 2017年1月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “新春の集い 講師プロフィール” (PDF). 一般社団法人協力隊を育てる会 (2016年1月25日). 2017年1月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g “【現代の肖像】星槎グループ会長・宮澤保夫 「いつでも、どこでも、誰でも」学べる学校を”. AERA DIGITAL(アエラデジタル). 朝日新聞社 (2020年11月12日). 2025年8月1日閲覧。
- ^ a b “Vol. 228 学習障害”. 医療ガバナンス学会 (2010年7月5日). 2017年1月26日閲覧。
- ^ 宮澤保夫(星槎学園創設者)第3回「”認める”ことから始まる教育」令和6年3月10日閲覧
- ^ 沿革、世界子ども財団、2017年1月27日閲覧。
- ^ a b “修士学位論文テーマ一覧(2013年度)修士1年制”. 早稲田大学 大学院スポーツ科学研究科. 2025年8月1日閲覧。
- ^ 訃報 宮澤保夫さん 72歳=星槎グループ会長、学校法人国際学園理事長 /神奈川、毎日新聞、2022年3月25日閲覧。
- ^ “仙石原の星槎施設に「エリトリア」事前キャンプ県内第1号”. タウンニュース箱根・湯河原・真鶴版. (2015年9月11日) 2017年1月26日閲覧。
- ^ 国際技術人を育てたアマ無線 地震対策のためにも学校でクラブ局再開を電波新聞コラム「ミリ波」2022年5月27日
- ^ 「アマ無線 替え玉受験 大阪府警 元塾経営者ら2人逮捕」『読売新聞大阪版』1999年6月16日、夕刊、15面。
関連項目
大学
高等学校
中学校
外部リンク
- 宮沢保夫のページへのリンク