実験結果に基づく結果の公表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:27 UTC 版)
「鈴木筆太郎」の記事における「実験結果に基づく結果の公表」の解説
筆太郎は「計算問題のテストをしてクラス平均が80点以上あれば、その授業は成功だ。60点以下だったら教え方に問題がある」という基準を設けて実験授業の前後で平均点を比べる実験をした。その結果従来の方法で教えたときには平均45点だったが、筆太郎の授業プランで教えた結果は平均82点だった。1910年(明治43年)に筆太郎はその授業実践の結果を私家版の冊子にまとめて発表した。そして澤柳政太郎など、当時の教育界で著名な教育学者や数学者に送り高い評価を得た。 筆太郎の別子小学校には授業の視察に来るものもあり、筆太郎の教具は5年間で十数府県にまで行き渡ったという。しかしそれ以上の広がりにはならず、彼は「良いものだからといって、必ずしも歓迎されるものではないということを知りました」と書いている。 その後、1916年(大正5年)に私立住友東平(とうなる)尋常高等小学校の校長になり、そこでも算術の授業を受け持ち1年生の学年末の平均点は90点以上あった。同じ学力調査を他の学校でも行ったところ,筆太郎が教えた東平小学校が一番成績が良いということも分かった。 筆太郎は「どこの学校にもせよ、いやしくも真に教育に興味を持って実験的に研究してみたいという教員があるならば、そういう人に対しては、申し合わせとか内規とかいうもので束縛しないで、その学級の経営だけは、その人の自由に任せてやってもらいたい」と「教師の教育研究の自由」も訴えた。
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