実際の方違え
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 02:59 UTC 版)
天一神については、5日間同じ方角が塞がるので、その方向が職場と自宅間などに該当していると不便である。そこで、実際には天一神がその方角へ遊行する最初の日に方違えをすれば、その方角にいる5日間は問題ないとされた。 同一方角に長期間在する神(大将軍・金神・王相)については、遊行の最初の日に1回方違えしただけでは有効とは言えないとして、その期間中、以下のような規則で何度も方違えをする必要があった。 自宅から、または自宅への移動、および自宅での造作の場合遊行の最初の日に一度方違えを行う その後数日間は毎日方違えを行う 一定期間経ったら再び方違えを行う 自宅以外の場所から自宅以外の場所への移動の場合遊行の最初の日に一度方違えを行う 一定期間(大将軍は45日、王相は15日)経ったら再び方違えを行う 出先から出先への移動よりも、自宅が絡む場合はより念入りに方違えをする必要があった。そこで、これを利用した便法が考え出される。つまり、自宅より出先の方が軽くて済むのであれば、本来の自宅以外の場所を「自宅」ということにすれば良いという考えである。各神の遊行する日の前日の夕方に、自宅以外の方角的に問題のない場所へ移動してそこで一晩過ごし、そこが「自宅」であると方位神に対して宣言するのである。こうすることで、方違えを45日または15日に1回行うだけで済むようにした。 「自宅」と宣言するために一夜を明かすのに貴族が使ったのは、一般に寺院が多かった。そのため、平安時代の後期にこの方式の方違えが流行するようになると、京都のお寺はどんどん立派になっていった。大将軍・金神・王相が遊行を行うのは春分の日であった。そのため、春分とそこから15日単位の日(すなわち二十四節気)には京都のあちこちで貴族の大移動が見られた。
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