官撰の書籍への混入とは? わかりやすく解説

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官撰の書籍への混入(1837〜1853年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 23:48 UTC 版)

村正」の記事における「官撰の書籍への混入(1837〜1853年)」の解説

天保8年1837年)、将軍徳川家斉発議による『三河後風土記』改訂増補『改正三河後風土記』完成史官成島司直同書将軍献上した当時幕府正史『御実紀』俗に徳川実紀』)の編輯主幹務めていた成島司直江戸時代代表する歴史学者一人で、史学のみならず和漢膨大な古典籍通じ世情にも詳しく後に徳川家慶政治的ブレーンとしても活躍し、さらに和歌物書きも得意とした博覧強記の人であった。その学者として力量『改正三河後風土記』にも遺憾なく発揮され多数間違いがあると見抜いている。 ただし、原則として『改正三河後風土記』はあくまで『三河後風土記』改訂増補という立場だったので、村正逸話は削る訳にもいかずそのまま残された他、新たに『落穂集』柏崎物語』と類似の家康長男介錯使われたのが村正というエピソード追加されたので、官撰お墨付きなのに、妖刀伝説という点についてはかえって混迷を深めることになってしまった。今まで出た全ての村正伝説並べた結果『改正三河後風土記』村正は(原文そういう言葉はないが)「徳川家四代不吉刀工ということになる。 さらに天保14年12月1844年1–2月)、正史『御実紀』徳川家康事績記した部では、本文では村正記述抜かれているが、附録には『柏崎物語』の家康直々に村正所持禁じたという話が転載されてしまう。

※この「官撰の書籍への混入(1837〜1853年)」の解説は、「村正」の解説の一部です。
「官撰の書籍への混入(1837〜1853年)」を含む「村正」の記事については、「村正」の概要を参照ください。

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