安芸津藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/06 05:59 UTC 版)
「渡り用人片桐弦一郎控」の記事における「安芸津藩」の解説
文絵(ふみえ) 弦一郎の妻。藩の改易の際、実父と共に自害して果てた。 笹間 十郎兵衛(ささま じゅうろうべえ) 文絵の父、弦一郎の義父。藩の執政だった。藩主の倉田右京太夫信政が病の床についたとき、藩主と正室の間には姫が一人いただけだったため、次期藩主の座を巡って藩内に争いが起こったが、十郎兵衛はその争いに深く関わっていた。藩が取りつぶされたとき、厳しい幕府の裁断に抗議するため、一族郎党を集めて全員で自害した。 龍野(たつの) 弦一郎の母。今も国元にいる。妻と義父の死を弦一郎に手紙で知らせてきた際、弦一郎も騒動に関与していたのではないかと疑われる恐れがあるから、今こちらに戻ってきてはならないと強い調子で諫めた。 楠田 織之助(くすだ おりのすけ) 安芸津藩の納戸役で、弦一郎と共に上屋敷に出仕していた。弦一郎が小栗藩の水練指南をしていた時に再会する。深川佐賀町の蔵の見廻りをして生活している。 仲間たちと、藩の再興を画策している。 由井賀 外記(ゆいが げき) 家老。藩士たちに藩主の死亡と藩の改易を報告した。 松姫(まつひめ)/清蓮院(せいれんいん) 藩主正室の娘。藩主が亡くなってお家断絶となった後、髪を下ろして菩提寺である要法寺に入った。 菊千代(きくちよ)/倉田 信芳(くらた のぶよし) 藩主側室の息子。改易の時は12歳だった。隣藩富岡藩にお預かりの身。15歳になって元服し、名を信芳と改めた。
※この「安芸津藩」の解説は、「渡り用人片桐弦一郎控」の解説の一部です。
「安芸津藩」を含む「渡り用人片桐弦一郎控」の記事については、「渡り用人片桐弦一郎控」の概要を参照ください。
- 安芸津藩のページへのリンク