安芸温品氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 14:23 UTC 版)
承久の時、安芸国高宮郡玖村に金子氏の一族・金子小次郎家正が関東より下ったのが温品氏の始まりとされる。また、下向期、下向者には諸説ある。代表的な説としては承久3年に承久の乱の戦功により、金子慈蓮が安芸国温科村地頭職に任ぜられ、その孫の金子盛忠が継承した。 鎌倉時代以降、室町期にかけて安芸武田氏の家臣として活動するが、1499年(明応8年)に当主の温品国親が安芸武田氏当主・武田元繁から離反。この離反は、安芸武田氏の屋台骨を揺るがすような大規模な反乱で、安芸武田氏だけでは鎮圧に及べず、毛利氏の支援等も受けた安芸武田家臣の熊谷膳直らの攻撃によって温品氏は滅亡した。しかし、後に庶流が大内氏や毛利氏に仕えて活動している。
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