学生服メーカーについての備考
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 09:15 UTC 版)
「瀧本」の記事における「学生服メーカーについての備考」の解説
学生服メーカーというと、かつて岡山県倉敷市の児島地区がその原料である綿花の生産地で明治期より足袋の製造がさかんであったが、1872年の学制発布に伴い、義務教育の定着化がはかられることになり、やがて大正期に入ると、同地では詰襟式の学生服ならびに女子学生向けのセーラー服の製造を開始することになる。 前述の3社のみならず、他にも今もなお全国各地に貼られたホーロー看板にその名前が残っている「サクラ日本学生服」の製造元であった石井産業や「太陽櫻学生服」発売元の日本被服など、多くの企業が岡山県倉敷市を発祥とする企業だったのに対し、同社は大阪府東大阪市で誕生した企業である。特に昭和30年代は就学率も向上するなかで、団塊の世代が学生時代であったため、学生服の需要が旺盛であった。また繊維メーカーの東レと倉敷紡績(クラボウ)の2社が系列を組み、傘下に岡山県に本社を置く学生服メーカーが多数存在したが、やがて昭和40年代以降、2社の傘下に入っていた内、経営体力のないメーカーは次々と倒産、淘汰され、現在のように財務体質が優良な企業数社が残る中、同社はその傘下に入ることなく、今日まで企業を存続させている。 ちなみに現在でも学生服の実に8割近くが岡山県に本社を置くメーカーのもので占められているという統計が出ている。 また業界全体でもトンボがOlive des Oliveやヒロミチナカノ、菅公学生服はELLEを採用していて、学生服のブランド化は、最も多くのブランドを扱うトンボと菅公学生服の二社が拮抗している状態である。
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