姥神山と久米氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 09:05 UTC 版)
姥神山は至近にある氷上姉子神社とのつながりが深く、宮簀媛命が老いて身のよりどころを神慮にはかった上で、隠遁した地であるといわれる。実際には、日本武尊の東征に付き従い、宮簀媛命の近習として過ごしたのちに氷上姉子神社の初代神官となる久米直七拳脛(くめのあたいななのつかはぎ)を祖とする久米氏の古来よりの本拠地で、山麓から中腹にかけては弥生時代後期のものとみられる土師器、古墳時代から奈良時代にかけての須恵器、中世の土器・布目瓦が採取されており、姥神遺跡と呼ばれて古代久米氏との関連性がうかがわれるほか、山頂には久米氏の代々の居館跡があり、中世には大高城が築城されるにあたって丸見えになるという理由から北麓に立ち退かされたという伝承も残る。前掲の『氷上山之図』では氷上社の北に「神主 久米氏屋敷」とある場所がそれに該当し、久米氏は2018年(平成30年)現在もこの場所に居を構えている。 なお、姥神山の南西麓に位置する姥神公園から南へ30メートルの付近には、久米氏代々の墓所がある(北緯35度3分43.6秒 東経136度55分54秒 / 北緯35.062111度 東経136.93167度 / 35.062111; 136.93167)。かつてこの付近を大高町字屏所(びょうしょ)といったが、屏所とは廟所の当て字で、墓所を意味する。『氷上山之図』はこの付近を「真隠(マカクレ)」と記し、「御除地 神主扣之墓所也」とあるが、真隠とは殯(もがり)とみられる古式の神葬跡を示すという。 『氷上山之図』再現図(西尾市岩瀬文庫所蔵『氷上山之圖及自熱田至氷上道路名勝粗記之』を元に作成。)右中央付近に朝苧社を中心にした姥神山が描かれている。 姥神山を望む。(2015年(平成27年)7月)
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