女王陥落、平昌五輪銀メダル
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「エフゲニア・メドベージェワ」の記事における「女王陥落、平昌五輪銀メダル」の解説
2017-2018シーズン、オンドレイネペラトロフィーにて2回転アクセル以外のジャンプを全て演技後半に配置した新構成のプログラムを披露。しかし、オーバーターンなどのミスが出てしまい思うように点数を伸ばせず、ジャパンオープンより元の構成に戻した『アンナ・カレーニナ』にプログラムを変更した。グランプリシリーズでは、ロステレコム杯、NHK杯で2連勝を飾るも、それぞれの大会で転倒などのミスが相次ぎ、僅かな綻びが出始める。その後、診察で右中足骨骨折が発覚。治療のため3連覇が掛かったグランプリファイナルの欠場を余儀なくされた。続くロシア選手権も回復が間に合わず欠場。2ヶ月振りの復帰戦となった欧州選手権でシニアデビュー後全戦全勝の快進撃を続けていた同門のアリーナ・ザギトワとシニア初激突。SPでは2回転アクセルでステップアウトしてしまい2位発進。FSでも予定していた連続ジャンプが単独ジャンプになるなど調子を取り戻せず2位。総合でも2位となりザギトワに敗北。それまで続いていた個人戦の連勝記録は13連勝でストップし、約2年振りの敗戦となった。平昌オリンピックはOARの選手として出場。団体戦はSPを滑走し、81.06と世界最高得点をマーク。OARの団体銀メダル獲得に貢献した。シングルはSPで81.61と更に世界最高得点を更新するも、わずか20分後にザギトワが更に上を行く82.92を叩きだし、2位発進となる。逆転を狙ったFSは前半の連続ジャンプを演技後半に配置する構成を発表。しかし、本番では前半に連続ジャンプを飛び、その後ミスなく演技を終えるも得点は156.65でザギトワと同点。SPでの点差を埋めることが出来ず総合2位となり、涙の銀メダルで幕を閉じた。その後、右足の痛みが再発。医師からの勧めによりリベンジ戦となる予定だった世界選手権は欠場し、1~2ヶ月程の休養をとることになった。休養期間は地元ロシアや日本のテレビ番組に出演したり、アイスショーへ出演していた。しかし、現地時間の5月7日、11年間師事してきたエテリ・トゥトベリーゼと決別し、ブライアン・オーサーへコーチを変更しカナダへ拠点を移すことを発表。師弟関係の解消や、ライバル国への移籍はロシア国内を始め世界中に衝撃が走った。
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