失望は午前に午後に虫の夜に
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
秋 |
出 典 |
象 |
前 書 |
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評 言 |
落胆の一日ということなのでしょうか。がっかりする事柄が、幾度となく襲ってきたのでしょうか。 午前・午後という時を示す言葉のあとが、虫の夜という情緒的な言葉で締め括られて、はじめて句としての立ち姿が整ったように思います。 午前の神様・午後の神様は少しの救いも示してくれない。夜になったらと果敢ない望みを抱いていた、それも打ち砕かれたのです。まさに遣る瀬ない一句です。 俳句に境涯を持ち込まないと言うひともいます。が、句を引き締め、作者の思いと思いを共にする上では、掛け替えのない表出でありましょう。 虫の声の聞こえる部屋で一日を振り返る。なんとまあがっかりしたことの連続であったことか。とは言え、虫の声に幾分かの安らぎを感じることは無いのでしょうか。かく詠うことでのみ開放されるのです。 句集「象」では、この句の前に、 褒められてばかりの日なり秋扇 の句があります。対として読むと、波瀾に富んだ日々が見えて来ます。そしてそれこそが境涯というものなのです。俳句を読むことの楽しさを味わう上での興味深い経験をさせてもらいました。 虫の声を聞きながら床についた翌日は、希望に満ちた朝を迎えたのでしょうか。明るい朝を伸びやかに迎え、心も清新な思いに蘇らせたことを、心から期待したい。――そう思わせる句として読むと、表現の奥の人間的な悲しみを深く味わえるのです。 写真は「写真の駅 錦田健滋」より |
評 者 |
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備 考 |
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