夫の助命活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 01:55 UTC 版)
「エッダ・ムッソリーニ」の記事における「夫の助命活動」の解説
1943年7月、父ムッソリーニがファシズム大評議会で糾弾され、指揮権を国王に返還した上で首相を解任、逮捕された。エッダの夫でありファシスト党の幹部であったチャーノもムッソリーニの解任に賛同している。しかしその後、ムッソリーニがドイツの手によって解放され(グラン・サッソ襲撃)、ドイツの傀儡国家イタリア社会共和国が成立するとチャーノの立場は危険なものとなった。チャーノとエッダの家族はドイツで軟禁状態となった。ヒトラーはチャーノら「反逆者」の処刑を要求したが、ムッソリーニはチャーノの助命嘆願をしている。 エッダはチャーノとともに南米行きを父ムッソリーニやヒトラーに訴えたが、ヒトラーはチャーノが回想録を出版する計画を持っていることを察知して拒否した。これを受けてエッダはムッソリーニに「南米行きを援助してくれなければ、ムッソリーニの大スキャンダルを世界に公表する」と手紙を送った。しかしチャーノは10月に逮捕され、ヴェローナのスカルツィ監獄に収容された。11月には代議員大会で裁判が決定され、1944年1月8日から裁判が開かれることになった。エッダはチャーノの救出のため、3人の子供をスイスに逃がし、ムッソリーニにチャーノ解放を訴えた。しかしムッソリーニは目に涙をためて拒否し、エッダは父の部屋を飛び出した。エッダの兄、ヴィットリオの回想によるとエッダは「見ているがいい」と連呼した後に、「私はどんなことがあっても、夫の生命を救ってみせる。子供たちの父親を助けるのが、妻のつとめよ。そのためには、親も家族も、いいえ、全世界を敵にしてもやってやるわ」と叫んだという。
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