太田鉄道→水戸鉄道(2代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 17:07 UTC 版)
「水郡線」の記事における「太田鉄道→水戸鉄道(2代)」の解説
1897年(明治30年)11月16日:太田鉄道の水戸駅 - 久慈川駅間が開業、青柳・下菅谷・上菅谷・額田・久慈川の各駅を新設。太田地域の商人による共同出資で設立。その後、水戸藩出身の代議士・小山田信蔵が経営に携わり一時は日本鉄道との合併を画策するも頓挫。工事も久慈川を渡る橋梁の工事に着手できず、却って経営の不振を招いた。 1899年(明治32年)4月1日:久慈川駅 - 太田駅間を延伸開業、太田駅を新設。 4月17日:久慈川駅を一般駅から貨物駅に変更。 5月11日:(貨)久慈川駅を廃止。 9月7日:河合駅を新設。 1901年(明治34年)10月21日:太田鉄道が水戸鉄道(2代)に事業を譲渡。太田鉄道の債務不履行に業を煮やした十五銀行が、差し押さえを実行。株主間の裁判による紛争を経て十五銀行が新たに水戸鉄道を設立、太田鉄道の設備と営業を買収した。その後、水戸鉄道は安田財閥に営業権が移る。 1918年(大正7年)6月12日:上菅谷駅 - 瓜連駅間が延伸開業、常陸鴻巣駅と瓜連駅を新設。 10月23日:瓜連駅 - 常陸大宮駅間を延伸開業、常陸大宮駅を新設。 1919年(大正8年)2月1日:静駅を新設。
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