天王寺商業学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 07:37 UTC 版)
「大阪市立天王寺商業高等学校」の記事における「天王寺商業学校」の解説
大阪市会は1912年2月、市立大阪高等商業学校から附属甲種商業科を分離し、大阪市立大阪甲種商業学校を設置する決議をおこなった。大阪商業学校は高等商業学校内に併設されることになった。1912年3月19日付文部省告示第70号および1912年3月30日付大阪市告示第35号により設置が認可され、1912年4月1日付で大阪市立大阪甲種商業学校が開校した。当初は3年制だった。 1917年には予科2年・本科3年の5年制へ改編されている。1918年4月には新校舎が落成した。 大阪市立第二商業学校(のちの大阪市立市岡商業高等学校)の開校に伴い、1919年4月に大阪市立第一商業学校へ改称した。1921年6月には大阪市立天王寺商業学校へ改編され、予科を廃止して本科5年制となった。1934年9月21日の室戸台風では校舎に被害を受けている。 太平洋戦争中には戦時政策により、全国の商業学校は1944年、工業学校への転換を命じられた。しかし天王寺商業学校については工業学校への転換をおこなわずに商業学校として存続した。また1944年には勤労動員も開始され、生徒は近隣の工場へと動員された。 1945年6月の大阪大空襲により校舎を全焼した。被災直後に生野区・勝山国民学校(現在の大阪市立勝山小学校)に移転し、さらに終戦後の1945年11月には南区瓦屋町・金甌国民学校(現大阪市立中央小学校敷地)に移転した。
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