大阪事件後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:49 UTC 版)
「大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件」の記事における「大阪事件後」の解説
大阪事件から2日後の1994年10月1日19時ごろ、KMはUと共謀した上で道頓堀一丁目の路上を歩いていた高校生3人組を恐喝した。被害者は18歳少年1人+17歳少年2人で、KMは道頓堀一丁目6番17号の喫茶店へ連れて行き、3人に対し「俺はダムに人を落とした」「マンションの屋上から(人を)落としたことがある。逃げた奴はダムに捨てた。逃げたら殺す」「財布を出せ」などと脅し、19時30分ごろに3人からネックレス2本(時価約10万円相当+25,000円相当)と現金55,000円(22,000円+12,000円+21,000円)、財布2個を脅し取った(恐喝罪)。さらに3人のうち、17歳の少年1人に対し「喧嘩を売った」などと因縁をつけ、同日20 - 21時ごろまでの間、前述の島之内のたまり場でKAが被害者の顔面・頭部・腹部などを多数回拳で殴りつけたり、腹部を多数回足蹴にしたりなど暴行を加え、包丁を目の前に突き付けて「刺すぞ」などと脅迫したほか、ネックレスを渡そうとしなかった18歳少年の態度に逆上して頭部などを拳で数回殴ったり、包丁を左太腿・左腕に突き付けるなどして脅迫した。加えてKMも被害者の顔面を拳で殴るなどしたり、HMと共謀した上で残る1人の少年(17歳)に対し「お前だけ殴っていない」と因縁をつけ、顔面を拳で殴る・足蹴にするなどの暴行を加えた(暴力行為等処罰法違反)。 しかし逃げた被害者らが親に被害を打ち明け、警察に通報したため、Uは翌日(1994年10月2日)にパトロール中の南警察署(大阪府警察)署員に強盗致傷容疑で逮捕された(その後、保護観察処分)。恐喝事件の捜査のためアジトの一室へ大阪府警が家宅捜索に入った。これを受け、当時偶然にも外出中で警察の手を逃れたKM・KA・HMの3人はそのままアジトに戻らず逃走を図った。
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