大講堂竣工と突然の死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 22:13 UTC 版)
1958年(昭和33年)に入ると、寄進していた大講堂が竣工するのを受けて学会員に大石寺へ参詣するよう指示。3月16日には、大講堂で「広宣流布の模擬試験」を行う。青年部員6,000人が参加、学会では「記念式典」と呼ばれている。戸田は広宣流布の一切の後事を青年部全体に託した。しかし、この式典をもって戸田の後継となる学会会長候補者を完全に指名していない。しかし、側近の弟子らに学会会長候補者は誰かを伝え、次期会長を守り抜くよう遺言を残している。 同年4月1日、急性心不全を起こし大石寺を離れたが、国鉄東京駅に着くころには、戸田の体調は悪化の一途を辿っていた。東京駅からそのまま駿河台日本大学病院に直行し緊急入院するも、翌4月2日の夕方、死去。学会では死因を「急性心衰弱」と発表した。戸田の遺言通り、戸田の遺体は一週間何もされないままだったが、遺体は腐ることはなかった。58歳没。4月8日、東京・池袋の常在寺で営まれた告別式には、12万人が焼香に訪れた。同年4月20日、青山葬儀所で営まれた創価学会葬(友人葬)には25万人が参列した。 墓地は東京都八王子市の創価学会高尾墓園の特別区画に築かれた。ただし遺骨は入っていない。
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