大砲の製造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 09:18 UTC 版)
「シャルル・ラゴン・ド・バンジュ」の記事における「大砲の製造」の解説
1873年、ド・バンジュはフランス軍の軽砲及び重砲の再設計のため 、パリの中央補給廠にある精密武器研究所(Atelier-de-précision)の部長となった 。 1877年から1881年にかけて、ド・バンジュはド・バンジュ90mm砲(野砲、1877年)、ド・バンジュ80mm砲(山砲、1878年)、ド・バンジュ120mm重砲(1878年)、ド・バンジュ155mm重砲(1877年)、ド・バンジュ220mm重臼砲(1880年)、ド・バンジュ220mm及び240mm要塞砲等を設計した。これらの砲のいくつかは、19世紀末の植民地戦争や第一次世界大戦で使用され、第二次世界大戦で使用された例もある。当時の他の大砲と同じく、ド・バンジュ砲は駐退機が無いため後座を起こし、発砲毎に狙いを定める必要があったため、発射速度が遅くなるという欠点を有していた。この問題が解決されるのは有名なM1897 75mm野砲を待たねばならなかった。 1882年から1889年までド・バンジュはカイル工業(Société Anonyme des Anciens Etablissements Cail)の部長となり 、武器の開発と輸出に従事し、セルビア等に銃器を販売した。
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