大洋デパートの概要
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「大洋デパート火災」の記事における「大洋デパートの概要」の解説
大洋デパートは1952年に創業された。火災が起こるまでは「鶴屋百貨店」を凌ぐほど市内随一の百貨店で、当時市民は市街地へ出かけることを「大洋に行く」と言うほどであった。また日本楽器製造が製造・販売をしていたミュージックサイレンが屋上に設置されており、朝には「朝だ元気で」(八十島稔作詞・飯田信夫作曲)、夕方には「夕焼け小焼け」(中村雨紅作詞・草川信作曲)が大洋デパートから市内一円に向けて演奏され、市民に時を告げていた。 1956年6月に行った増築工事で、8階に「大洋文化ホール」を設置した。固定席1,200席のほか、廻り舞台や楽屋、楽屋風呂までを備えた本格的な施設であり、それまで市内にはこの規模の劇場やホールはなかったため、熊本における文化活動の中心として活用された。しかし、売り場拡張のため1966年(昭和41年)に廃止された。 なお、中国のデパートである大洋百貨とは人的・資本的関係は一切ない。 表記については、「大洋」と「太洋」が混用されていた。慰霊碑には「太洋」が使われている。火災時の屋上看板は「大洋」だったが、マークは丸に「太」だった。
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