大村純毅とは? わかりやすく解説

大村純毅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/16 04:03 UTC 版)

大村 純毅
おおむら すみたけ
生年月日 1903年4月11日
出生地 静岡県静岡市
没年月日 (1974-04-17) 1974年4月17日(71歳没)
死没地 長崎県大村市
出身校 陸軍士官学校
称号 伯爵正四位・勲三等旭日中綬章
親族 大村純之(従兄弟、長崎県議会議員)

当選回数 4回
在任期間 1952年12月10日 - 1968年12月9日
テンプレートを表示
大村 純毅
おおむら すみたけ
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1924年 - 1945年
最終階級 陸軍中佐
除隊後 大村市長
テンプレートを表示

大村 純毅(おおむら すみたけ、1903年明治36年)4月11日[1] - 1974年昭和49年)4月17日[1])は、日本の昭和時代の華族陸軍軍人政治家大村市長)。大村家第27代当主。

生涯

大村純英が陸軍軍人として赴任中の静岡県静岡市で誕生、ほどなく東京へ移る。

学習院中等科より陸軍中央幼年学校へ入り、1924年(大正13年)7月に陸軍士官学校本科卒業(第36期)。同年10月に砲兵少尉任官。以後、砲兵部隊中心に軍歴を重ねる。最終的には野戦重砲第八連隊付を経て中佐に昇進した[2]1933年(昭和8年)6月、父の死没に伴い伯爵を襲爵[1]。終戦後、1945年(昭和20年)12月1日予備役編入。

1946年(昭和21年)大村に移住。翌1947年(昭和22年)に空襲で焼け残った蔵書を大村市に寄贈する。同年10月に大村市立図書館が開館する際の蔵書の母体の一つとなった。この間、1949年(昭和24年)には当時逃亡中だった陸軍士官学校同期生の辻政信を一時庇護したことがある。

1952年(昭和27年)12月、大村市長選に出馬し当選。以後4期16年間市長を務めた。1968年(昭和43年)12月、4期目の任期満了に伴い市長を退任。1974年4月17日、胃がんのため死去した(71歳)。死没直前の同年3月11日、大村市名誉市民受賞が贈られた。正四位勲三等旭日中綬章

親族

会津藩主家の松平保男子爵の娘の芳子は妻[1]。墓所は大村市の本経寺。郷土史研究家として活躍している勝田直子は純毅の娘である[1]。ちなみに現当主の大村秀成は直子の子にあたる[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成 上巻』327頁。
  2. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、534頁。ISBN 978-4-06-288001-5 

参考文献

関連書籍

  • 福田清人・松井保男編『大村純毅伝』大村純毅伝刊行会、1976年。


公職
先代
柳原敏一
大村市長
1952年 - 1968年
次代
松本寅一
日本の爵位
先代
大村純英
伯爵
彼杵大村家第3代
1933年 - 1947年
次代
(華族制度廃止)




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大村純毅」の関連用語

大村純毅のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大村純毅のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大村純毅 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS